中田英寿と本田圭佑。2人は中村俊輔にとって、どんな存在だったのか (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 中村と同じピッチに立ったときは、ほとんど絡まない。対戦する相手以上に、中村を敵視していた。まさに"俊輔狩り"である。

「世界にも『成り上がってやろう』という選手はたくさんいるし、そういう選手を何人も見てきたけど、あんなにギラギラしている選手を見るのは久しぶりだった」

 そうした状況の中、ふたりを巡る報道はどんどん過熱していった。

 同じポジションを争い、ともに左利きでFKに自信を持つ。不甲斐ない試合が続いて、今ひとつ盛り上がりに欠けていた日本代表にあって、『中村vs本田』は最も注目度の高い"ホットな"ニュースだった。

 とはいえ、岡田監督の中村に対する信頼は厚く、しばらくはチーム内のヒエラルキーに変化はなかった。少なくともW杯の直前までは、ジーコジャパン以上に中村の存在は大きく、「中村のチーム」と言っても過言ではなかった。

 その間、中村はさらに「うまくなるために」大きな決断を下している。

 2009年6月、4シーズン戦ったセルティックからスペイン1部リーグのエスパニョールへの移籍を決めた。

「『セルティックに居すぎかな』というのは感じていたけど、ストラカン監督との関係はよかったし、家族も(スコットランドで)安定して暮らしができていた。それに、他からオファーがあっても、会長が『ナカは何億積まれても出さない』と言ってくれたので、それなら『ここにいよう』ってなる。

 そうした環境にあって、『どうすればうまくなるのか』ということが自分の中でぼやけてしまった。挑戦する意識や向上心がなくなったわけじゃないけど、(所属チームを)動かなくてもいいと思ってしまった。

4 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る