中田英寿と本田圭佑。2人は中村俊輔にとって、どんな存在だったのか (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 ジーコ監督にとって、中村と中田は別格の存在だった。両者を生かすためには、中村を前に出して攻撃に専念させ、中田をボランチへ配するしか方法がなかったのだ。

「フィジカルの強弱などでも判断する監督なら、俺をサブにして、ヒデさんをトップ下に置いたと思う。周囲からは『ジーコの息子』とか『ジーコに気に入られた』とか言われたけど、そういう感覚はなかった。ただ、代表に呼ばれたら、どんな試合にも行った。ジーコに対して、というよりも、日本代表に対する忠誠心というか気持ちを、ジーコに感じてもらえていたんだと思う。俺、常に代表が一番だから」

 中村は、「(自分と中田とは)世界レベルでのプレーや経験の差が違う」と自らの胸の内で消化できていた。ゆえに、メディアなどで中田と比較され、あれこれ言われても、ほとんど気にはならなかったし、代表でのプレーに影響することもなかった。中田に追いつくべく、自らのレベルを上げ、安定したプレーをしたい、ということに集中していた。

 だが、本田は違った。

 中村が本田の標的にされたのは、チームの中心で、シンボルだからだ。野生動物の世界であれば、グループのボスを倒せば、倒した者が新しいボスになる。本田の考えは、それに近かったのではないだろうか。

 もちろんサッカーの世界でも、サブの選手がレギュラー選手を追い落とそうと必死になって、競争を挑むのは当たり前のこと。中村も、そういう経験は何度もしてきた。しかし本田は、これまでに同様の争いを繰り広げてきた選手たちとは明らかに違った。標的とした中村を、追い落とすことに徹底していたのだ。

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