ハリル解任会見での違和感。なぜ「目指すサッカー」は語られないのか (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by JFA/AFLO

 解任、更迭は常に視野のなかにあったはずだ。W杯最終予選中にも、交代してもいいタイミングは複数回、存在した。しかし、そうこうしているうちにハリルジャパンは予選を突破。本大会出場を決めた。

「結果を残した」とは、よく使われる言い回しだ。しかし、W杯予選突破という結果は途中経過だ。富士登山で言えば6合目ぐらい。8割方大丈夫と目されているラインだ。日本はこれまで5回連続でクリアしている。

 ハリルホジッチは予選突破のために招かれた監督ではない。本大会でどれほどいいサッカーをし、どれほどの結果を残せるか。代表監督の評価は、そこから逆算してされるべきものだ。

 しかし、その逆算は一種の予測だ。主観にすぎない。予選突破という"低次元"の結果と、主観でしかない逆算と。弱いのは、拠りどころがない主観のほうだろう。W杯本大会出場を決めたのに解任した。結果を残したのにクビにした。その理由が「本大会では戦えないから」という主観では、代えて成績が出なかったとき、代えた側は袋叩きに遭いやすい。大きなリスクを抱えることになる。

 田嶋会長、西野技術委員長が、ここまで手をこまねいてしまった理由だろう。強引に新監督を迎えれば、これまで存在しなかった任命責任も生まれる。

 原さん、霜田さんには過去に3人の監督を招聘した実績があった。コンセプトも存在した。田嶋会長、西野技術委員長はどうなのか。その点こそが両氏への最大の不安だった。招聘する力、コンセプトを明確にさせる力はあるのか。

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