森保一監督がサンフレッチェ退任後に、世界中をまわって見てきたこと (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

―― 広島でのチームメイトですね。

森保 はい。ポポヴィッチは広島のあと、クリスタル・パレスというプレミアリーグのチームで数年プレーして、そこでコーチも務めたんです。おそらく彼は、世界のトップリーグで学んだものを自分のチームに落とし込んでいるだろうと思って訪ねました。

 そうしたら想像どおりで、練習中から選手のあらゆるデータを取得したり、ドローンを飛ばして上空から撮影したり、テクノロジーを駆使して分析していた。コーチは(ハイデン・)フォックスっていう、僕らはフォクシーと呼んでいるんですけど。

―― 彼も広島時代に一緒にプレーした仲間ですね。

森保 フォクシーもドイツやイングランドでプレー経験があるんですけど、彼はDFだったから、守備練習を担当していて。一方、攻撃練習はバルセロナのアンダーカテゴリーで15年間指導していたコーチが見ていて、新しいものを取り入れようとする姿勢が見られたんです。キャンプにも1週間、スタッフとして帯同させてもらったんですけど、朝食から夜寝るまで、スタッフがずっと会話や議論を重ねていて、みんな、これくらいやっているんだなって。

―― すぐにまた、監督をやりたいなと思われた?

森保 いや、すぐにではないですけど(笑)、こういう仕事ができればなと、改めて思いましたね。ポポヴィッチから『スピリットは起きたか?』と気遣ってもらったり、最後には『いつかACLの舞台とかで戦えたらいいね』というような話もして......って、英語だから正確にはわからないんですけどね(笑)。

―― 通訳は連れていかなかったんですね?

森保 そうなんです。訪ねる前に『通訳を連れていく』と伝えたら、『お前、ひとりで来い。俺とフォクシーで説明するから大丈夫だ』と。でも、ひとりで行ってよかったです。彼らも積極的にコミュニケーションを取ってくれたし、伝わってくるものがありましたから。そのあと1週間くらい、今度はニュージーランドに行ったんです。宮澤浩を訪ねて。

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