東京五輪代表に残るのは誰か。森保ジャパンのサバイバルが始まった (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • photo by Getty Images

 だが、大きく異なることがある。

 ひとつは、オリンピック開催国の日本は、すでに東京五輪への出場権を得ていること。そしてもうひとつは、チームの立ち上げ時期だ。

 手倉森ジャパンが残した課題のひとつに、立ち上げ時期があった。

 手倉森誠監督の就任が発表されたのは2013年12月。その時点で手倉森監督はベガルタ仙台の指揮を執っており、年末の天皇杯・準々決勝に勝ち残っていた。

 新監督にメンバーを視察して選ぶ時間がなかったため、技術委員会が中心となってメンバーをセレクト。年明けにぶっつけ本番でU-22アジア選手権に臨んだが、選手のコンディションはバラバラで準備期間もなかったため、指揮官はオーガナイズに苦労していた。

 だから、その反省から、今回は準備期間を設けたのだと考えられた。

 ところが、森保監督の思惑は違った。

 11月30日に発表された今大会のメンバーリストには、この年代のトップランナーである5月のU−20ワールドカップ出場選手は含まれていない。「基本的に今回と次の1月の中国に行くメンバーは分けて考えています」と森保監督は明言した。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る