ハリルJ「初召集の24歳」に注目。パンチ力ある右ウィングがいた! (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 浅野も久保も、かつては主に2トップの一角として、サイドではなく中央寄りでプレーしていた。日本代表が採用する4-2-3-1、あるいは4-3-3の布陣に落とし込もうとしたとき、とりあえず一番適当なのが右サイドだったという感じだ。布陣の変化に伴い、ポジション移動を余儀なくされた選手たちなのだ。

 左の原口、乾についても似たようなことが言える。左ウィングのスペシャリストとして成長してきたわけではない。4-2-3-1や4-3-3など、3FW系の布陣が日本に浸透したのはわりと最近のことだ。4-2-3-1を見かけるようになったのはつい10年前くらい。4-3-3はもっと最近だ。それぞれの布陣は世界より約10年遅れで日本に入ってきた。それ以前はFWといえば、2トップが定番のスタイルだった。

 それまでサイドアタッカーは、4バックならサイドバックであり、3バック(5バック)ならウィングバックだった。日本にはサイドハーフさえ存在しなかった。サイドバックより一列高い位置で構える、もう1人のサイドアタッカーが存在しない布陣を長きにわたり採用してきた。該当するポジションがなければ、それに相応しい適性を備えた選手は育たない。

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