水をかけられ、バッシングを浴びた
城彰二を救った「カズの言葉」

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

 日本中が狂騒に包まれたW杯から時が過ぎ、城にも穏やかな日常が戻ってきた。そんなある日、城の中ではある思いがふつふつと沸き上がってきた。

「時間の経過とともに、W杯での悔しい気持ちが(自分の中で)どんどん大きくなっていった。Jリーグでは結果を出せるけど、世界レベルでは通用しない。Jリーグでプレーするたびに、自分と世界とのレベルの差を感じて『もっとうまくなりたい』と思った。そして、この悔しさを晴らすには、海外に行くしかないって思った」

 当時は、今ほど日本から欧州へ行く門戸は開かれていなかった。ゆえに、移籍先はなかなか見つからなかったが、Jリーグで1998年に25得点、1999年にも18得点をマークすると、そのオフ、スペインのバリャドリードへの期限付き移籍がついに決まった。

 年俸はマリノス(1999年からF・マリノス)時代の3分の1程度だった。しかし、城の中では海外でレベルアップしたい気持ちが勝り、2000年1月にスペインへ飛んだ。

 1998年W杯――。カズの落選から始まった壮絶な物語は、城にとってはいったい何だったのだろうか。

「いろいろな意味で、俺のその後のサッカー人生を変えてくれた。世界ってすごい、世界との真剣勝負はW杯しかないんだって感じられた。だから『もう一度、W杯で戦いたい』『うまくなりたい』と思って海外に出ていった。もし、あの経験がなければ、ヒデ(中田英寿)の活躍をすげぇって思いながら、日本でプレーしていたと思う。

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