惨敗のW杯、日本代表へのバッシングが、なぜ城彰二に集中したのか? (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 そうして、城は"A級戦犯"として扱われるようになってしまった。"エース"としての責任は果たせなかったが、それ以上の罪はないにもかかわらずだ。

「結果を出せなかったのだから、批判されるのは仕方がない。プレッシャーを抱えて結果を出せなかったのは、実力が足りなかったからだと思うし、あの年齢(23歳)で"エース"としての責任を負う、というのも難しかったんだと思う。

 ただ、俺ら選手と、メディアやサポーターとの間には、W杯に対する捉え方に差があったと思う。俺は世界との差をすごく感じたし、それを経験できてよかったと思ったけど、メディアや一部のファンは1勝もできず、ぜんぜんダメだったじゃないかっていう見方をしていた。百歩譲って『ダメだった』と言うにしても、ガムとかの話じゃなくて、今後の日本サッカーを強くするための、建設的な批判をしてほしいと思ったけどね」

 だが、一部のファンは、城に対する不満や怒りをどんどん膨らませていったのである。

(つづく)

城彰二(じょう・しょうじ)
1975年6月17日生まれ。北海道出身。鹿児島実高→ジェフユナイテッド市原→横浜マリノス→バリャドリード(スペイン)→横浜F・マリノス→ヴィッセル神戸→横浜FC。日本代表では日本初のW杯出場に貢献。1998年フランスW杯に「エース」として出場した。

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