あの岡野雅行が明かす「秘密兵器としてW杯最終予選でプレーする重圧」 (2ページ目)

無料会員限定記事

photo by Yamamoto Raitaphoto by Yamamoto Raita 97年、日本はグループリーグで韓国に敗れるなど苦戦を強いられていました。その様子をベンチから見ることしかできなかった岡野さんは、ある日、最終予選期間の途中から指揮を執っていた岡田武史監督に直談判します。自ら監督の部屋に赴き、「なぜ僕は試合に出られないんですか?」と聞くと、岡田監督の答えは「お前は秘密兵器だから、まだ出したくない」というもの。その言葉を聞いた岡野さんは、「なるほど!」と納得し、出番を待つことにしたのです。

 そして、グループBで韓国に次ぐ2位となった日本は、マレーシアのジョホールバルでグループA2位のイランとの第3代表決定戦に臨みます。当時のアジア地区のW杯出場枠は3.5(現在は4.5)、勝てばW杯出場、負ければオセアニア代表チームとの大陸間プレーオフに回るという運命の一戦でした。

 この試合もベンチスタートだった岡野さんは、「とうとう秘密兵器の出番だ!」と思い、試合途中からアップを始めると、岡田監督の前を目立つようにビュンビュン走ってアピールを開始。そして、日本が1-2とリードされた状況の後半18分に岡田監督が動きます。しかし、監督に呼ばれたのは岡野さんではなくFWの城彰二さんと呂比須ワグナーさん。

「あれ、俺じゃないの? 秘密兵器は?」

 ふたりの後ろ姿を見送る岡野さんは落ち込んでしまい、ウォーミングアップをやめてしまいます。試合は、城さんが後半31分に同点ゴール。そこで「またチャンスが巡ってくるかも!」と、気を取り直して体を動かし始めた岡野さんは、そのとき初めて、試合会場の"異様な雰囲気"に気がつきます。

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録よりメンズマガジン会員にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る