「国内組」福西と「海外組」ヒデの衝突によって、日本代表が得たもの (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 あそこ(イラン戦)で中途半端にドローとか、勝っていたら、また(チームの雰囲気も、選手の気持ちも)ギクシャクしたまま試合を迎えていたはず。それで、4バックのままでやっていたら、たぶん(バーレーン戦も)負けていた。そういう意味では、あの"口論"が起点になって、バーレーン戦での勝利につながったのかな、と思う」

 中田と福西の衝突をきっかけにして、課題が浮き彫りになったチームは、それを解消できないままイランに敗れた。大きな1敗ではあったが、その代償として、チームは3バックが"勝利のシステム"であるという確信と、中田のボランチ起用という新手を生み出し、バーレーン戦の勝利を得たのである。

 以降、3バックと中田のボランチがチームの核になっていった。

 続くアウェーのバーレーン戦に勝ち、タイで行なわれた無観客試合の北朝鮮戦にも勝った最終予選。日本は1試合を残して、2006年ドイツW杯の出場切符を獲得したのである。

(おわり)

◆第2回>日本が初出場したW杯。帰国した城彰二を襲った「あの事件」に迫る

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