永里姉妹がお互いを語る。「W杯エクアドル戦は姉として妹をフォローした」 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

――優季さんが先にドイツに渡って、奮闘しているところに妹が移籍してくるという形になりました。姉としてどう向き合いました?

優季 接し方を変えました。ほとんど話さなかったし、接点を持たなかったよね。

――亜紗乃談でいくと、自らの反抗期もあったということで(笑)、ドイツに行く前に初めてちゃんと話をして姉のサッカー観を知ったと言っていましたが、そうした期間は短かったということですか?

優季 長くはなかったかな。同じチームにいたのは半年だけでしたけど、妹に対して線引きはしないといけないと自分に言い聞かせていましたね。自分が海外に来たとき、誰も助けてくれる人がいなかったけど、それがよかったって思ったので。1人で何でもやらなきゃいけない。それがあったおかげでチームメイトともいい関係を作れました。どうしてもチームメイト内に同じ言語を話す人がいたら、そこに甘えちゃうし、私に聞けばなんとかなるってなっちゃうから。

亜紗乃 私がドイツに行く1年前くらいから、いろんな話をして、そこでなんとなく姉の気持ちはわかっていました。けど、最初は本当にびっくりというか......。「あ、本当にしゃべってくれないんだな」とは思った(笑)。寂しくなったこともありましたよ。でもがんばろうって思って。大事な緊急連絡とかはくれたし、ね?

優季 緊急だから(笑)。それしかしなかった。

亜紗乃 でも、週に1回ゴハンは食べてたっけ?

優季 最後の方ね。私の移籍が決まって、母が来たこともあって。

――姉としては苦労がわかっているだけにつらいですね。

優季 苦しいですよね。思わず手を貸したくなるようなことは何度もありました。貸しませんでしたけど。やり切った(笑)!

亜紗乃 それで成長できたと思う。

――姉の作戦がハマったということですね。

優季 私はそう思ってるんだけど。だって2シーズン目、楽だったでしょ?

亜紗乃 え? まあ(笑)。でも姉がいてくれるだけで助けられている部分はすごくあった。最初、英語もドイツ語もしゃべれないから、「何しに来たんだ!」ってスタッフに怒られたこともあったんです。

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