「マイアミの奇跡」から20年。あの夏の「熱気」は、今はもうない (3ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 結果的にアトランタ五輪で、日本はメダル獲得はおろか、グループリーグ突破さえできていない。2勝1敗で3チーム(日本、ブラジル、ナイジェリア)が並んだ結果、得失点差でおよばず、日本はグループ3位に終わっている。

 それでも、ブラジル戦後には新聞の号外が発行されるなど、メダル獲得以上のインパクトを残した。「マイアミの奇跡」が、アトランタ五輪を代表する出来事だったのは間違いない。

 思えば、当時の日本サッカーには"熱"があった。世界とは隔絶された場所からどうにか抜け出そうと、必死でもがいていた。だからこそ、歴史の扉をひとつひとつ開けていくことができた。

 この前年の1995年には、U-17、U-20の両日本代表が、(開催国枠ではなく)初めてアジア予選を突破して世界大会に出場。アトランタ五輪を経て、2年後の1998年には初めてワールドカップに出場した。以来、日本サッカーの成長曲線は右肩上がりに伸びていった。

 ところが、いつのころからか、日本がワールドカップや五輪に出場するのは当たり前になった。ヨーロッパのクラブでプレーする日本人選手も珍しくない。今回のリオ五輪代表からも、五輪本番を前にして、FW浅野拓磨のアーセナル移籍が決まった。

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