7月3日。「中田英寿の引退から10年」でフランスの空に想う (6ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki  photo by AFLO

 中田英が4人目のキッカーとして登場したとき、その背中を見て、僕は硬いなと感じた。悪い予感は的中。彼は唯一の失敗者として、名を刻むことになった。

 時は2000年9月23日。欧州のシーズンはとうに開幕していた。セリエAも例外ではない。前シーズンの途中、ペルージャからローマに移籍してきた中田英にとって、ここは勝負のときだった。スタメン獲得に向け、シーズン前のキャンプの段階から監督のファビオ・カペッロにアピールする必要があった。「シドニー五輪出場より、ローマでのスタメンを目指せ!」。僕はそう主張した。「そのほうが長い目で見たとき、日本サッカー界の財産になる」と。

 中田英のPK失敗で、日本はメダル獲得の可能性を逃した。中田英は所属のローマで、トッティとのトップ下争いにも遅れを取ることになった。歯車が狂い始めた瞬間だったのかもしれない。

 ユーロ2016の取材でリールを訪れるたびに、頭を去来する話だ。さすがに今、オーバーエイジ枠で「本田、香川、岡崎をリオ五輪へ」という声が湧くことはないが、その意識の変化の幅を大きいと捉えるか、小さいと捉えるか。

 断然後者だと、僕は思う。この10年、日本は大して変わっていない。むしろ停滞中。チャンピオンズリーガーの数に、それは現れていると思うのだ。

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