7月3日。「中田英寿の引退から10年」で
フランスの空に想う

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki  photo by AFLO

 中田英は1戦、2戦ともほとんど活躍できなかった。相手のリール監督ハリルホジッチが、彼に専用でマーカーをつけたことと大きな関係がある。

 パルマは選手の名前では勝ったが、サッカーゲームの戦い方で負けた。そのサッカーは守備的で、リールのサッカーは攻撃的。パルマに限らず、これは当時のセリエA全体の傾向で、欧州のその他の国々が攻撃的サッカーに染まるなかで、異質な存在だった。攻撃的サッカーと守備的サッカーが対戦すれば、攻撃的サッカー有利。パルマ対リールは、時の欧州サッカーを象徴する一戦でもあった。

 パルマを倒したリールの監督――。ハリルホジッチをひと言で言い表すなら、そうなる。

 一方、日本人初のチャンピオンズリーガーの快挙を達成したのは、アーセナルの稲本だった。監督のアーセン・ベンゲルが意外なタイミングで交代出場させたので、その瞬間に立ち会った人は思いのほか少なかった。

 第2号になった小野は、フェイエノールトでスタメンも確保。そのシーズン、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の決勝に進出した。ドルトムントとの決勝戦を取材に訪れた日本人記者の数は40名以上。全体の4分の1を占めた。日韓共催W杯が開催されたのはその直後。日本サッカーは、このころのほうが現在より圧倒的に盛り上がっていた。

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