閉ざされるリオ五輪への扉。絶望的状況の中で何を生み出すのか。

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

 ピッチに立ち尽くすのは打ちのめされた"10番"。

「本当の実力を見せつけられてしまった無力感と何もできなかったっていう責任感」(大儀見)から動くことができなかった。悔しさしか感じなかった12年前のオリンピック予選。誰の目にも大儀見の成長は眩しく、自信をつけて臨むこのオリンピック予選で新しい自分を見つけたかった。それが10番を背負うものとしての責務であり、チームにとっても新しい形になると信じていた。

 しかし、大儀見は完全に封じられた。それでも瞬時につく数枚のマークもろとも存在を消されるのであれば、大儀見とて本望に違いない。自らが刺し違えることでチャンスが生まれるのであれば嬉々としてその身を投げ出すだろう。でも、それには誰かがそのチャンスを生かさなければ意味がない。"見殺し"では、ただの消され損である。

 ピッチ上は裏の読み合いであり、手の内を知り尽くしたアジアの戦いではなおさらのこと。相手がボランチを狙ってくるのであれば、大儀見を潰しにくるのであれば、あえてそこを逆手にとってハメるくらいの対応力が必要だ。相手に応じて対応してくる対戦国に対して、自らのサッカーを変えない選択をした佐々木監督。そのなでしこのサッカーが封じられたとき、選択肢は一気に狭まってしまった。

 試合後、ゴール裏のサポーターから吐き出された鬱憤は、なでしこジャパンが初めて身に受けるものだった。黎明期(れいめいき)はその進退に興味すら持たれなかった。上昇期は3万人の声援で押し上げてもらった。ドイツワールドカップ優勝後は、常勝チームというイメージがつき、オリンピック出場が当然視されるようになった。

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