メダルどころか五輪出場に黄信号。すべては手倉森監督の采配に

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by PHOTO KISHIMOTO

 28年ぶりの出場を果たしたアトランタ五輪チームには、A代表と戦わせれば勝つんじゃないかと、その対戦を本気で望む声さえ挙がったほどだ。シドニー五輪はA代表そのものと言いたくなるような顔ぶれで、2年後の日韓共催W杯の日本代表に、ほぼそのままスライドしていった。五輪チームとA代表。両者にはその時、境界線というものがほとんど存在しなかった。

 この頃の若手には勢いがあった。Jリーグで若手とベテランがポジションを争えば、あっという間に若手はベテランを抜き去った。大きな右肩上がりを描く日本サッカー界を象徴する事象と言えた。

 04年アテネ、08年北京、そして12年ロンドン五輪の選手たちは、それに比べると劣る。年長者をいまにも抜き去る勢いはなかった。移籍して海外組となった選手、A代表入りを果たした選手、またそれに近いポジションで活躍している選手が大半を占めるとはいえ、予選の戦いぶりは危なっかしかった。近い将来、右肩上がりの時代が終焉を迎えるのではないかとの予感を抱かせる、頼りないものだった。

 五輪チームは代表チームの3~4年後を占うバロメーター。日本サッカー界はその定説に、素直に従っている感じだ。好意的に見ても横ばいを示す最近の代表チームの姿は、ある意味で何年か前から予想されたものだったのだ。

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