原口元気、ドイツでの苦悩「こんなに自信を失ったのは人生初」

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

原口元気(はらぐちげんき)。1991年5月9日生まれ。埼玉県出身。ヘルタ・ベルリン(ドイツ)所属。ドイツに渡った昨季、サッカー人生で「最も悩んだシーズンだった」という。photo by Yamamoto Raita原口元気(はらぐちげんき)。1991年5月9日生まれ。埼玉県出身。ヘルタ・ベルリン(ドイツ)所属。ドイツに渡った昨季、サッカー人生で「最も悩んだシーズンだった」という。photo by Yamamoto Raita ヘルタで試合に出るためには、何度も上下動できるスタミナと走力が必要だ。ゆえに、ただ長い距離を走るのではなく、スプリントができる回数を増やすための"走り"のトレーニングを、チームの全体練習後に行なった。最初は息が上がって、かなりしんどい思いをしたが、それも徐々に慣れてきた。すると、練習試合に出場し、何度も上下動を繰り返しても、息が切れることはなくなった。

 そして2月4日、ウインターブレイク明け2戦目のレバークーゼン戦(0-1)で、原口は久しぶりに先発フル出場を果たした。その直後、成績不振でルフカイ監督が解任され、新たにパル・ダルダイ監督が就任してからは、再び原口は5試合続けて出番を失ったものの、3月14日のシャルケ戦(2-2)で後半24分から途中出場。すかさずゴールを記録し、見事チャンスを生かして、左MFのポジションをつかみ始めていった。

「シャルケ戦で点を取ってから、(自分の)流れが変わったように言われているけれど、個人的にはレバークーゼン戦で得た手応えが大きかった。強豪相手(シーズン4位)に、90分間しっかり走れたし、ボールを奪ってから前に出て行くところの動きや、ゴール前でのプレイの質が上がっていた。それで得られた自信があったし、練習でもどんどんコンディションが上がっていたので、5試合出られなかったときも焦ることはなかった。チャンスさえくればやれると感じていたから、『出番、早く来い!』って思っていた。そして実際、シャルケ戦で点が取れた。(自分に)"流れ"が、必然的に来たな、って思いましたね」

 4月に入ると、原口は完全にレギュラーの座を勝ち取った。トップ下のアニス・ベン=ハティラが負傷し、サイドアタッカーのバレンティン・ストッカーがトップ下に回って、そのポジションが空席になったという運もあったが、ダルダイ監督の原口に対する評価が上がっていたことも確か。同監督の「元気は試合を追うごとによくなってきている」というコメントが、地元メディアでも報じられた。

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