元U-17監督城福浩が語る「日本の停滞とアジアの進化。その理由」 (3ページ目)

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 乾いたスポンジがどんどん水を吸収するように学ぶ彼らの姿を見て、私と小野氏は危機感を覚えたと同時に、十数年前の日本の育成現場を思い出した。かつての日本人指導者たちにも、こうした熱が間違いなくあった。だが、今もそれは変わらずあるのだろうか、と。

 前述した日本の育成年代の仕組み作りや指導者養成のカリキュラムは当時、世界から賞賛された。それに関しては胸を張っていい。だが、それが未来永劫、正しいかと言えば、時代に応じて変化させなければならないし、15年前と同じことをしていても成長はない。

 指導者も同様だ。日本人は勉強熱心だから、15年前は必死になって海外の指導者の言葉に耳を傾け、海外の成功例を研究し、取り入れてきた。

 だが、W杯でフランスが優勝すればフランスの指導法の真似をし、スペインが優勝したら右向け右でスペインに倣い、ドイツが優勝したら、もうスペインの「ス」の字も出てこない――。そんな状態でいいはずがない。

 では、どうすればそこから抜け出せるのか。9秒台で走れるようになるのか。次回、その点を考えていきたい。
(後編へつづく)

飯尾篤史●構成

■プロフィール
城福 浩(じょうふく ひろし)

1961年3月21日徳島県生まれ。
大学卒業後、川崎フロンターレの前身である富士通で活躍。現役引退後、1996年には富士通川崎フットボールクラブ監督に就任。その後99年から08年まで、JFAでナショナルトレセンコーチ、U-14日本選抜、U-15からU-17までの代表監督を歴任。
FC東京の育成、強化も担当し、08年から10年まで監督。12年から14年は甲府の監督を務めた。現在は解説者として各メディアで活躍


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