不明朗な人事、商業主義...日本サッカー協会の問題点 (6ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 長田洋平/アフロスポーツ●写真

 一方、ホーム戦の魅力は何かと言えばお金だ。スタジアムはほぼ満員。協会には入場料収入に加え、テレビの放映権料や様々な広告収入も舞い込む。興業的な魅力に溢れている。サッカー産業の源。ホーム戦を一言でいえばそうなる。

 興業重視か強化重視かと言えば、興業重視。日本のサッカー界は、長年にわたり、こうしたレールの上を進んできた。と同時に、サッカーのレベルも右肩上がりを示してきた。ホーム対アウェーの関係が50対50だったら、右肩上がりはもっと加速していたに違いないと言いたいが、それはともかく、日本サッカー界は言ってみれば、これまで、両方をともに満たす離れ業を演じてきたわけだ。興業と強化はクルマの両輪のような関係にあった。

 しかし、この方法論に限界が見えてきていることも確か。右肩上がりは、いま横ばい、あるいは右肩下がりの状況を迎えている。W杯ベスト8。いやベスト4も狙えると息巻く人は、もはやいない。ベスト16でさえ、相当な運に恵まれない限り難しいと考える人が、多数を占めるようになっている。

 五輪チームをはじめとする世代別チームの現状を眺めると、雲行きはさらに怪しくなる。日本の5年先、10年先は危ない。アジア予選の突破さえおぼつかなくなっている現実を踏まえると、楽観的な気分にはまるでなれない。しかし、心ではそう思っても、実際口にしようとする人は少ない。手をこまねいているのが現実だ。

 いますぐ方向転換を図るべき。だが、協会にも、右肩上がりを続けた時代の体質が染みついている。それしか経験したことがないので、対処策がないというべきかもしれない。ホーム対アウェーの関係を50対50に持っていくことさえ難しいだろう。

 右肩下がりの時代とどう向き合うか。日本サッカー界は、いま大きな転換期を迎えている。それを最小限に食い止め、再び右肩上がりに回復させることこそが、協会に課せられた使命だ。それができなければ、落ちるところまで落ちる。日本サッカー界が、いまの日本経済のようになる危険性は高い。事態は急を要していると僕は思う。

緊急特集「よみがえれ! 日本サッカー」>

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