不明朗な人事、商業主義...日本サッカー協会の問題点 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 長田洋平/アフロスポーツ●写真

 スポンサーの顔色をうかがった末に臭いものに蓋をした。本音はこちらだと、世の中の多くの人は認識しているのではないか。実際、「イメージダウンを恐れるスポンサー」と、スポンサーサイドに立つかのような論調で、解任を迫ろうとするメディアもあった。

 芸能界で起きた出来事なら理解できる。何かの疑いを掛けられた芸能人やタレントに、疑いが晴れるまで、テレビ番組やCM等の出演を遠慮願う。これは分かる。だが、サッカーはスポーツだ。日本代表戦はテレビ番組ではない。日本代表は見せ物ありきで存在しているわけではない。世界一を目指して戦う集団だ。その選考にかかわるのは、あくまでも協会。スポンサーの力が介在したり、協会がその力に屈したりすることは、あってはならない話だ。

 それはメディアが本来、注視しなければならない点でもある。だがその多くは、スポンサーサイドの声を紹介しようとする。今回のアギーレ問題、そして前で述べたブラジル戦がそのいい例になる。

 確かに、お馴染みの選手、言い換えれば知名度の高い選手がスタメンに並んだ方が、商売的には好都合だろう。知名度の低い新戦力が、スタメンに並ぶ布陣より遙かにありがたい。だが、それを続けると代表チームは立ちゆかなくなる。メンバーは老朽化する。チームの新陳代謝は滞(とどこお)る。いまの日本代表が、まさにそうした状態にある。

 サッカーは、放っておいても人気者が次々に現れる芸能界とは違うのだ。スポンサーの立ち位置も、それと違うはずだ。お金は出すが、口は出さない――これが、あるべき姿勢だ。

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