新代表監督と交渉中!霜田正浩技術委員長はこんな人 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 長田洋平/アフロスポーツ●写真

 コミュニケーションの細やかさ。それは原氏も監督時代に得た実感だったに違いない。その人間性こそが、交渉においても人の心を動かすのだろう。

 交渉戦は結局のところ、人と人の接触である。その点、ブラジルと日本を行き来しながら意思疎通のスキルを高めてきた霜田氏ほどの人材は、Jリーグを見渡してもいないに等しい。前回(2010年)の交渉では、グレゴリオ・マンサーノ(現北京国安)、マルセロ・ビエルサ(現マルセイユ)、エルネスト・バルベルデ(現ビルバオ)という名監督たちとの交渉でも一歩も譲らなかった。世界中の誰もが知る大物監督を袖にして、最後はザッケローニとの契約をモノにした。

 当時は南米4ヵ国、欧州4ヵ国と、大陸を2往復している。いつでも、どこにでも行ける状態でいるために、宿泊先を決めるのは当日だった。とにかく携帯電話を片時も放せない。いつ交渉相手から連絡が入るか分からないからだ。「(マスコミからの問い合わせなどで)迷惑をかけられないから」と、家族にも居場所は知らせない。一方で、メディアを通じた様々な圧力が重くのしかかってくる。精神的にも、肉体的にも厳しい仕事だ。

「重圧はとてつもないよ。でも、やりがいはあるよね」

 そう語っていた霜田氏は、2月10日に世界のどこかで48歳の誕生日を迎えている。ビザなどの手続きを逆算すれば、「2月中に探し当てなければ、3月下旬の代表戦には間に合わない」という非常に厳しいミッション。日本が積める札束は限られているし、金額で判断する人はもっと積まれたらそちらに気持ちが動く。ぎりぎりのやりとりになる。彼は今、「代表監督交渉」の渦中にある。


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