鈴木大輔、代表を語る。「本田圭佑に見たメンタルの重要性」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

<俺は気持ちでやるしかない>

 原点的な信念が、彼の腹の底にはあるのだ。

 石川県金沢市で少年期を過ごしている鈴木は、今も忘れられない悔しさがあるという。14歳の時、石川県の中2選抜チームに選ばれた。意気揚々と参加したにもかかわらず、大阪での大会遠征、彼は“4番手のセンターバック”という扱いで出番がなかった。

<自分の出られないチームが全国ではボロ負けしてんのに。これでプロを目指すって、あり得ないっしょ>

 彼は突きつけられた自分の立場に身を焦がした。その日から以前に増して練習に取り組むようになった。悔しさを燃料にした。すると中3になったとき、地域選抜だけでなくナショナルトレセンに呼ばれた。早生まれだったことも幸いし、城福浩監督が率いるU-15代表に選出されることになった。

「アカデミーやユース育ちの選手はやっぱりうまいから、実はそこでやっているときはコンプレックスでしたよ。技術的な不足は気持ちで補うしかないと心に決めていました。ただ、自分は石川という土地で育って、いろんな意味で“色が付いていない”とは思っているんです。それはそれで良かったのかもしれませんね。なぜなら、“このサッカーじゃないとダメ”なんていう変なプライドはないですから。何でもチャレンジしてやるって」

 鈴木のサッカー人生はプロ入り後も順風満帆だったわけではない。アルビレックス入団後、3シーズンで公式戦出場は天皇杯1試合のみだった。

 救いは、心を許しあえる入団同期選手がいたことだったかもしれない。愛媛の高校出身のFW川又堅碁(現名古屋グランパス)とは、馬が合った。性格もポジションもまるで違うことが、むしろ絆を深めたのかもしれない。二人でいつか定位置を奪う日を期して、切磋琢磨する仲になった。主力組との紅白戦を前に、「俺が3点ぶち込んでやるから、おまえはFWをぶっ潰してくれ」と約束し合うこともあった。

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