田口泰士が語るブラジル戦。「ネイマールにやられた理由」 (5ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Sueishi Naoyoshi

 2009年1月に流通経済大学付属柏高校から名古屋グランパスに入っている田口は、入団以来3シーズンでリーグ戦わずか4試合出場と定位置をつかめていない。高卒ルーキーであっても、3シーズンで数分間の出場時間では、4シーズン目は崖っぷちとなる。カテゴリーを下げ、新天地に踏み出すしかない。それは片道切符になる場合も少なくなく、プロは過酷な世界だ。

 後がなかった田口の起死回生は、ポジションのコンバートにあった。高校まではFW、攻撃的MFでのプレイが多かったが、ドラガン・ストイコビッチ監督のアシスタントコーチをしていたボスコ・ジュロヴスキ(現在はマケドニア代表監督)の一言でボランチに転向した。

「タイシのスキルやビジョンはボランチで生きる」

 2012年、夏になる前のリーグ中断期に言われた田口は、ボランチに道を見いだすようになっていった。当時、ボランチの選手にケガ人が続出していたことも彼にとっては幸いした。一つポジションを下げたことで、プレイビジョンと攻撃センスが際立った。盛んに首を振りながら時間と空間を計算し、インターセプトでも才能を発揮。身体的な強さも兼ね備え、コンタクトプレイに怯まず、守備でがつがつと競える強さもある。

 ボランチの適性があったのだろう。

「バチバチとやるのは、オレは好きですね。それはたぶん昔からで。球際とかでは絶対に負けたくない」

 そう語る田口は、頭で考えるよりも体が先に反応する。「肉体の反射」に特長がある選手だ。常に相手の動きを読み、機先を制するように自分が体を動かせる。その動きは獣的で、相手に食らいつく。

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