香川真司や柿谷曜一朗にはない、左ウイング武藤嘉紀の武器 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●文 text by Iio Atsushi ヤナガワゴーッ!●撮影 photo by Yanagawa Go

 話は今から4年半前、武藤がFC東京U-18に所属していた2010年1月にさかのぼる。FC東京U-18は3ヶ月後に高校3年生となる武藤らを中心にした新チームで、メキシコ遠征に臨んでいた。

 もともとサイドアタッカーやFWとしてプレイしてきたが、高校2年のときはサイドバックとして、1学年上のチームでレギュラーを務めていた。そして、いよいよ最上級生になるため、本来の攻撃的なポジションに戻れると思っていたところ、FC東京U-18を率いていた倉又寿雄監督(現日体大監督)から、引き続きサイドバックでプレイするように告げられた。

 武藤には、当時から当たり負けしないフィジカルの強さがあり、奪い取る力に長けていて、ボールを運べる推進力もあった。

 長友佑都や内田篤人をはじめとして、日本人サイドバックはヨーロッパでの評価が高いが、Jリーグを見渡せば、サイドバックの人材が決して豊富というわけではない。武藤にはサイドバックの資質がある、サイドバックになったほうがプロになりやすいし、プロになってからも試合に出やすいのではないか――。指揮官には、そんな親心があったのだ。守備力を高めるため、武藤をセンターバックとして起用したこともあったというから、どれだけ本気でDFとして育てようとしていたかがうかがえる。

 だから、もしかしたら武藤は、アギーレジャパンで酒井宏樹や松原健と右サイドバックのポジションを争っていた可能性もあったのだ。コンバートを受け入れていたならば......。

 ただ、子どものころから攻撃的なポジションを謳歌してきた武藤にとって、それは受け入れがたいものだった。高校2年のときにサイドバックをこなし、守備力やフィジカルを磨いたのも、サイドハーフに戻ってから生かせると思っていたからだった。武藤は、「どうしても前で仕事がしたい。得点を取りたい」と訴え続けた。

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