2014.08.26

貧弱なセンターバックこそ日本代表の根本的問題である

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by JMPA

 今野には、全体のリズムを整えるちょっとしたボール操作能力がある。今野の本職は守備的MF。ベテランで経験もある。彼を最終ラインで起用したザッケローニのアイデアは、悪くないものに見えた。だが最後に来て、今野はそのポジションを森重に譲った。少なくとも、中心選手ではなくなっていた。

 しかし、吉田、森重のコンビは、コートジボワール戦1試合だけで終了した。フィード力を期待して起用されたと言われているが、この両者は言ってみれば専守防衛型の選手だ。悪く言えば守るだけ。全体の流れを見て、リズムを決定していくような抑揚のあるプレイができる選手ではない。

 そしてそれは、日本の大型CBほぼすべてに共通する傾向だ。ゲームメーカー的なセンスを持った選手はあまりいない。栗原勇蔵、岩政大樹。ザッケローニに呼ばれたことがあるこの2人も、昔風に言うところのストッパーそのものだった。リベロ風な、少しばかり洒落の利いたボール操作はできなかった。

 ギリシャ戦では、森重に代わり、今野がスタメンに復帰した。だが、今野がそこで、彼らしさ、ベテランらしさを発揮したというわけではなかった。中心選手の風格は感じられなくなっていた。

 それは、1、2戦に守備的MFとして先発を飾った山口蛍にもあてはまった。そつなくこなすことはある程度できていたが、チームの核にはなれていなかった。操縦桿を握るという意味を持つボランチ本来の存在感は出せなかった。ボールが彼を経由しても、流れが変わる、あるいは整うということはなかった。

 その役をこなしていたのは本田圭佑だった。1トップ下の位置からピッチの中央付近まで下がり、ボールさばきの起点になっていた。

 したがって、ボールはなかなか前に進まなかった。「後ろの声は神の声」に従えば、本田より後方で構える選手のほうが、全体図は見えていたはず。だが、見えているはずの選手に、試合の流れを操作する力は与えられていなかった。後方に人がだぶつき、前方には人数不足を招くことにもなった。