次期監督候補アギーレは本当に「攻撃的」なのか? (2ページ目)

  • 中山淳●文 text by Nakayama Atsushi photo by AFLO

 当時アギーレが採用していたシステムは、一貫して4−4−2だった。特徴は、堅い守備をベースにして、速い攻撃で少ないチャンスをモノにするプレッシングスタイル。昨季のリーガで言えば、ディエゴ・シメオネ監督率いるアトレティコ・マドリード(2013−14シーズン優勝)のイメージに近い。

 最初に旋風を巻き起こした2003−04シーズンは、セサル・クルチャガとホセチョの両センターバックと、パチ・プニャルとパブロ・ガルシアのセントラルMFがチーム最大の武器で、とりわけ守備から攻撃につなげる役割を果たしていたパブロ・ガルシアの活躍が光っていた。

 しかし、明らかにチームの特徴は、「守備>攻撃」。シーズン38試合38得点は、最下位ムルシアの29得点に次ぐ下から2番目という低さで、それでもオサスナが上位争いを演じることができたのは、プレッシングをベースとした堅い守備で実現した37失点というリーグ3位の数字によるものだった。

 翌2004−05シーズンも同様のスタイルでリーグ15位の成績を残し、スペイン国王杯では準優勝。さらに2005−06シーズンは、主力のパブロ・ガルシアを他クラブに引き抜かれたにもかかわらず、下部組織出身のMFラウール・ガルシアが大活躍。終わってみれば、リーグ4位でチャンピオンズリーグ出場権を獲得する躍進を遂げたのである。

 当時話題となったのは、アギーレの選手起用法だった。もともと選手層が薄いオサスナにあって、アギーレはメンバーを固定することなく、試合ごとにスタメンを変更。時には7〜8人ものスタメンを変えるなど、選手のモチベーションをうまくコントロールしていた。結果、シーズンを終えるころには、厚い選手層を誇るチームへと変貌していたのだ。

 弱小チームを上位に躍進させた手腕を評価されたアギーレはその後、2006−07シーズンから名門アトレティコ・マドリードの監督に就任。無名選手で構成されたオサスナとは違い、FWフェルナンド・トーレス(スペイン代表)、FWセルヒオ・アグエロ(アルゼンチン代表)、MFマニシェ(元ポルトガル代表)など、一流選手もプレイするチームでの手腕が注目されたが、残念ながら初年度は結果を残せず7位に終わっている。

 アトレティコ時代も得意の4−4−2を基本としたアギーレだったが、就任1年目は故障者が続出し、思うようなチーム編成をできなかったのが誤算だった。しかし、オサスナ時代の教え子ラウール・ガルシアや、ディエゴ・フォルラン(ウルグアイ代表)、シモン・サブローザ(元ポルトガル代表)らアタッカーを補強した2007−08シーズンは、個人の力をベースに4位に飛躍。シーズン中はアギーレの得意とする組織サッカーが実現できず、メディアからの批判に晒(さら)されたものの、フェルナンド・トーレスが抜けた穴をアグエロがカバーし、最終的には目標のチャンピオンズリーグ出場権を獲得するに至っている。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る