本田圭佑の代役を探さなかった日本の不幸 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 本田がブラジルW杯の戦犯と言うことではない。むしろ、指揮官がチームを作る点において、選手を正しく導く必要があった。クラブチームのようにメンバーを固定して安定感を出すザッケローニのやり方は、間違っているわけではない。だが、それは4年も続けるべきことではなかった。4年も同じメンバー=競争関係を与えない状態では、環境が淀むのは必然である。

 2014年1月、本田はACミランへの入団を発表し、10番を背負い、人気的には“栄華を極めた”。しかし実際にはベンチを温める機会が多かった。ケガにも見舞われ、コンディションは上がっていない。名声だけが一人歩きしていた。それは彼自身にも、周りの選手にも幸福な出来事ではなかった。

「自分は世界一になるのが目標だし、こういうやり方しか知らない」

 コロンビア戦後にそういった彼の表情は、W杯優勝を豪語していたのが嘘のように悄然としていた。この4年間、好敵手が現れなかったことは、なにより本田にとって一番の不幸だった。なぜなら、彼は踏みつけられたり、凌(しの)ぎを削り合う中で成長してきたのだから。熾烈な競争こそが、プロフットボールでは望ましい。

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