ふたりの漫画家がブラジルで考えた「日本らしいサッカー」とは? (4ページ目)

ヤマザキ 彼らは、そこに可能性を見つけているわけですか?

とり・みき 他の国の真似をして勝つのではなく、日本人らしさを出して勝たなければいけない、ということですね。

ヤマザキ でも、それじゃあ勝てないかもしれない。どう考えたって「ハングリーサッカー」のほうが強いわけですから。

とり・みき
 そこはサッカーファンの間でも昔から侃々諤々なところで。今回も、例えばオランダとスペインの試合でスペインはボロボロになりましたけれども、あれはオランダが自分の国のサッカーを棄ててでも勝ちにいった。中盤で球を取り合うとスペインにかないっこないので、引き気味にして、ボールを取ったら思いきり前に蹴りだす。オランダは優れた点取り屋が3人いますから、その3人が個人の能力で決めてしまうんです。で、あれほどの大差(5-1でオランダが勝利)になった。でも、それはいつものオランダのサッカーではなく批判も多かった。だから、勝てばそれでいいのかというと、本当に難しい。

ヤマザキ エンターテインメントという観点でサッカーを考えた時に、それぞれの国の特徴や方向性を出して魅せるサッカーをすることに意義があるのか。それとも、単純に勝ち負けなのか。勝ち負けだけ計算していくと、今言ったみたいにつまらなさ全開でもいいわけじゃないですか。

とり・みき 奇跡的に国のオリジナリティと強さが矛盾なく同居する場合もあるんです。前回のスペインであったり、98年のフランスであったり。だけど、1回勝つと、それに勝つためにはどうすればよいかと他の国が研究する。

ヤマザキ でも、研究したって用意した通りになるとは限らないじゃないですか。その時にならないと何が起こるか分からなくて、いろんな偶然が化学変化を起こして、選手がどんなに頑張ろうと、どんなに有能な選手がいようと、けっして計算どおりにはならない。そこが一番面白いんじゃないですか。

とり・みき 日本のサポーターって、ひとりひとりが評論家的に戦術批判をしますよね。サッカー評もスタイリッシュな文章が多い。そこもすごく日本的だなと思います。本来、サッカーはヨーロッパではブルーカラーの人たちのスポーツで、もうちょっとプリミティヴですよね。

ヤマザキ インテリは、ほとんど誰もサッカーを見ませんね。

とり・みき 日本で一時サッカー評論をリードしていたのは『ナンバー』で、スタイリッシュな文章で、レトリックの多い、小難しいサッカー評が溢れていたんです。それに影響を受けているところが、今でもあるのかしれませんね。特に負けた後は。

ヤマザキ 「ああしておけばよかった」「これがだめだった」という後ろ向きな文章は、いやですね。

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