日本のサッカーは世界の目にどう映ったのか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

「日本はもっとコンパクトにプレイすべきだった。アリゴ・サッキがACミランで実現させたような25mの幅でDF、MF、FWのラインが連動して動き、アグレッシブに攻め、守るようにね。特にコロンビアに対しては、オランダのファン・ハールがスペイン戦で用意したように、スペースを与えないことが必要だった。個人的には香川に期待していたが、コロンビア戦は"自分が何とかする"という気持ちが空回りしていた」

 それも一つの見方なのだろう。

 日本では、感情的な表現での批判が吹き荒れ、それに対する揺り戻しのように、「夢を持った選手を腐(くさ)すな。挑戦する気持ちは美しい」という論調があるという。現場にいた自分の立場からすれば、そのどちらでもない。

 日本人の特長であるスピード、テクニックに価値を見いだしたことは正解なのだろう。ただし、相手のストロングをどうするか、という部分は看過された。フットボールは相手があるスポーツで、だからこそ「いい守備からいい攻撃が生まれる」という定石がある。自分たちのスタイル、という意識が強すぎ、相手をどう上回るか、という駆け引きが未熟だった。

 結局は、コートジボワール戦も、ギリシャ戦も、戦略的な点で敗れている。ハメスを投入されて混乱したように、ディディエ・ドログバを相手に何もできなかったし、10人になったギリシャに対しては無為に長いボールを蹴り込んだ。90分間のマネジメントとしては無垢で、勝てる目算が立っていなかった。

 フッチボール・ボニート。

 日本はそれを表現しようとしていたし、その匂いは伝えることができた。それは誇っていい。これからも模索していくべき一つの道だろう。

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