北嶋秀朗から工藤壮人へ。「代表入りのために今、必要なこと」

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 長田洋平/アフロスポーツ●写真 photo by Nagata Youhei/AFLO SPORTS

 2013年5月のブラジルW杯アジア最終予選、工藤は日本代表に初めて選出されている。以来、7月に開催された東アジアカップでは全試合出場で2得点を挙げて優勝をもたらし、その後も継続的に代表に招集された。2014年3月、W杯本大会メンバー発表前最後の親善マッチであるニュージーランド戦の23人にも選ばれていた。しかし「当確」と言う人がいる一方、「当落線上」と言う人も少なくなかった。

「4年前の2010年W杯は、レイソルで韓国合宿に行っていましたね。もちろん、当時は代表メンバー入りなんて考えていなかったです。たった4年間でこれだけ景色が変わるんだなと実感しています」

 工藤はW杯メンバー発表を前にして、素直な心境を述べている。

「4年前の自分が今の自分に会えたとしても、『さすがにないでしょ?』と疑っているかもしれません。当時からは考えられませんから。4年前は自分のことだけで必死でした。キタジさん(北嶋秀朗)がいて、リーダーシップをとれる人もいましたから。他にもたくさんFWがいる中、スタメンの競争が激しかった。レイソルのFWとして点を取ることだけを考えていました」

 目の前の戦いに集中できたことが、彼を強く鍛え上げたのだろう。そして2013年に北嶋が付けていた9番を背負うと、得点力は目に見えて向上した。

「(2013年は)全部の大会で29得点しました。ACLでは6点、韓国のチームに勝って準決勝まで行き、国際大会での自信もつきましたね。『過密日程』と言われていましたが、自分としてはレベルの高い試合ができるのが楽しくて仕方なかった。あとはキタジさんがいなくなって、自覚が出てきました。チームをどうしたいか、この試合をどういう方向に持って行くか、大きな視点でも考えられるようになった」

 工藤は人一倍ゴールを渇望する。そうして叩き出したゴールこそが、彼に道標を示してきた。

「俺はレイソルのアカデミー時代から、キタジさんがレイソルの9番を背負って活躍する姿を見てきました。そのときを考えたら、肩を並べるなんて言うのも恐れ多い。でも昔、『目標です』ってキタジさんに言ったら、『目標にするな、ライバルでいいよ。おまえは俺より上に行ける。今は切磋琢磨してお互い高めていこう』とにこにこした顔で言われて。それが気取っていなくて、キタジさんらしかった。あの人がいなければ、今の自分もないと思っています」

 ブラジルW杯代表メンバーの発表は、約1ヵ月後に迫っていた。

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