日本代表での存在感。本田圭佑と中田英寿はここが似ている (2ページ目)

  • 編集部●文 text by Sportiva
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

「決勝リーグに進んだことは大きなステップだと思うよ。でも、トルコ戦は、不完全燃焼のまま終わってしまった。90分を戦った後、倒れて動けないとか、足がつって歩けないとか、そこまでやっていたかと言えば、答えはノー。最後の一滴までエネルギーを使い果たして戦えたとは、到底思えなかったんだ」(02年日韓W杯の後)

「このチームには熱意というものがない。いつも親善試合と一緒じゃないか! こんなゲームがもう一度でもあったら、ワールドカップなんて絶対にない」(04年、W杯予選シンガポール戦に苦戦して)

「僕にとって予選通過はあくまで通過点。このチームでは、本大会で戦って勝ち抜ける力はまだないと思います。この1年で個人個人が伸びてみんながレベルアップして、勝ち抜けるチームになることが必要。(そうすれば)3度目のワールドカップで初めて前へ行ける」(05年、ドイツW杯出場を決めて)

 日本が初めてW杯に出場した98年以降、ある時は強気に、またある時は危機感をあらわにしながら、チームに緊張感を与えてきたのが中田英寿だった。

 中田は98年W杯が終わるとセリエAペルージャに移籍。現在に至る日本人選手の海外クラブ移籍の流れを作ったとも言える存在だった。自国開催のため予選のなかった当時の日本代表は強豪国と対戦を重ねたが、チームの中心となっていたのが中田だった。一時期のトルシエジャパンは、実質的に中田ジャパンと言ってもいいようなチームだった。

「中田の選手としてのピークは2001年。ローマで優勝を経験し、まだ数少なかった海外組の中でも別格で、代表の中でもカリスマ性があった。一時の日本代表は何でもかんでも中田にボールを集めるようになっていました」と言うのはサッカーライターの杉山茂樹氏だが、そこには彼のプレイスタイルが関係するという。

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