欧州にも対抗し得るサッカー指導者が日本に生まれた (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by GettyImages

 従来の日本のサッカーはそこに迫れなかった。そのパスサッカーはボール支配率と密接な関係にはなかった。ボールを奪われやすいパスサッカーだった。ボールを取り返すことも上手ではなかった。とりわけザックジャパンのサッカーは、相手ボールになるとアタフタする。互角以上の相手を向こうに回すと、選手と選手、選手とボールは"共鳴"しなかった。

 それが「吉武ジャパン」はできていた。驚くことに、チームの合い言葉が"共鳴"だった。フアン・マヌエル・リージョが決め言葉のように使ったキーワードを、チームの軸に据えていた。

 驚きはそれだけでない。欧州で攻撃的サッカーにこだわっている監督をインタビューした時に、こちらの印象に残った言葉が、吉武監督の口から次から次へと飛び出してくるのだ。もちろん、これらは従来の日本人の指導者から、聞くことができなかった言葉でもある。

 言葉は指導者にとっての生命線。耳に残る言葉をいくつ吐くか。その数と監督としての優秀度は比例する関係にある。名監督と呼ばれる人物は、耳に残る新鮮な言葉を必ずや述べてくれる。ヨハン・クライフの「勝つときは少々汚くてもいいが、敗れるときは美しく」は、その代表的な台詞(せりふ)になるが、彼らを取材すれば サッカー観に影響を与えるような言葉に遭遇できた。

 戦術的な交代を得意にするフース・ヒディンクはこういった。「能力が同じなら、ユーティリティ性の高い選手を選ぶ」と。それと全く同じ台詞を吉武監督も口にした。

 ヒディンクは、オランダ代表の98年フランスW杯直前の合宿に臨むにあたり、招集メンバーそれぞれに、あらかじめ起用する可能性のあるポジションを複数伝えておいたそうだ。そして2週間の合宿の中で、その全てを予行演習したという。したがって、ベンチの控え選手には、出場するときの姿が描けていた。「起用されるポジションを想定しながら待機していたので、彼らのモチベーションは極めて高かった。戦術的交代がうまくいった理由はそこにある」と、ヒディンクは語った。

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