2013.10.28

ラモス瑠偉「あのドーハのメンバーを
忘れてほしくない」

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • 梁川剛●写真 photo by Yanagawa Go

なんで最後までプレイできたのか
わからないくらいだった

――イラン戦に負けて1分1敗になったとき、選手は相当、落ち込んでいたと言います。
「俺はない。残り3試合、勝てばいいと思っていた。何も恐れることはなかった。ただ、マスコミはイランに負けるとは思っていなかった。逆に韓国に勝てるとも思っていなかった。だから『これは難しくなった』って。でも北朝鮮、韓国に連勝だよ。最後のイラク戦は勝たなければいけないと思った」

――最後のイラク戦、勝てるという自信はありました?
「簡単に勝てるとは思っていなかったけど、いける、というのはあった。イラクは中盤と右サイドにいた中心選手が出られなくなっていたし。ただ、こっちもだいぶ疲れも溜まっていたしね。2週間で5試合。しかもあんな暑い中で、芝はわざと長く伸ばしたりして。冗談じゃないよね」

――あの年はJリーグが開幕して、当時のJリーグは延長Vゴール方式でPK戦までありました。今は3月開幕ですが、1993年は5月開幕で、土曜日、水曜日と連戦だった。そんな疲労の蓄積もあったでしょう。
「最後のイラク戦は、何で最後までプレイできたかわからないくらいだったからね。疲れがとれなかったのは事実。そういう疲労の蓄積は確かにあったね。もうみんな忘れているけど、最悪の条件だった。それでも最後までプレイできたのは、W杯に連れて行きたいっていう気持ちがあったから。自分がW杯に行くというより、オフトや仲間、日本の国民への最後の恩返しになるんじゃないか、と。それが、俺の仕事だと思っていた」