2013.10.27

福田正博「20年前のドーハは
『悲劇』じゃない」

  • 飯尾篤史●構成 text by Iio Atsushi photo by AFLO

オフトにとって俺の不調は誤算
申し訳なく思っている

 福田には、その後の記憶がない。

 タイムアップの笛が鳴るまでの残り数十秒間、どんなことを考えてボールを追ったのか、まるで覚えていない。そればかりか、試合後のロッカールームでオフトがどんな話をし、どうやってホテルに戻り、どんな思いで一夜を過ごしたのか、記憶がすっぽりと抜け落ちている。

「唯一、覚えているのは、試合後のオフトの表情。オフトがスタンドの誰かと話していて、他会場の結果を確認していたんだろう。まだ得失点差で(本大会出場の)可能性が残されていたから。でも、すごく残念そうな顔をしたんだ。それを見て、ああ、ダメだったんだと悟ったよ」

 記憶に残る次のシーンは、帰りの機内でのオフトとのやりとりにまで飛ぶ。

「『お前、どうしてしまったんだ』と言われたことを、すごく覚えている。オフトが俺に期待してくれていたのは、間違いないと思う。あのオランダ遠征以来、ずっと使い続けてくれたし、最終予選でもオフトは4戦目、5戦目に俺を途中出場させている。同じように不調で先発から外された高木はその後、起用されていないのにね。それだけ信頼してくれていたってことだと思うんだ。オフトにとって俺の不調は誤算だっただろうし、本当に申し訳なく思っている」

 心身ともに大きなダメージを抱え、ドーハから帰国した福田を待っていたのは、所属クラブの相変わらずの低迷だった。レッズはこの年、Jリーグの初代最下位という不名誉な結果を残すと、翌年も最下位となり、「Jリーグのお荷物」と揶揄(やゆ)された。

「帰ってきて2年ぐらいは、思うようにプレイできなかったな。チームも低迷していたし、俺自身もケガを繰り返していて、ストレスを溜め込んでいた。勝負弱いっていうレッテルを剥がして、自分の力を証明したかっただけに、もどかしくてね......。自信を取り戻すには、結果を残すしかない。だから、ショックから立ち直れたのは1995年、単独で得点王になったときだね。あれでようやく、自信を取り戻すことができたと思う」