2013.10.26

都並敏史が語るドーハの悲劇。
「オフトは僕とだけ握手をしなかった」

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • photo by AFLO

「人生において、あんな痛みは二度とないだろうと思うくらい。言葉を発せないし、立つことさえできないし、そんな痛みが2時間くらい続くんです。その時間が過ぎると、少しは我慢できる痛みに変わるんですが、それでも全身から汗が噴き出してくるほどの痛さだった。過去に4回、骨折したことがありますけど、あのときの痛みは......、さすがに耐えられるものではなかった」

 そんな状態であっても、都並は試合に出場する準備を整えていた。「行くぞ」と言われれば、いつでも試合に出場するつもりだった。

「(2戦目の)イラン戦の前半、左サイドバックのヤス(三浦泰年/清水エスパルス/現東京ヴェルディ監督)のところを相手に突かれていたんですね。すると後半に入って、オフトは勝矢(寿延/横浜マリノス/現セレッソ大阪スカウト)にアップを命じた。そのとき、僕は激高しましたよ。ヤスがレギュラーで、もし代わるんだったら『俺だ』って思って練習に励んでいましたからね。清雲さんに食ってかかっていました。『なんで、俺じゃねぇんだよ。ここは俺だろ! ふざけんじゃねぇ!』って」

 3戦目の北朝鮮戦からは、勝矢が左サイドバックを務めた。安定した守備を見せて、日本の勝利に貢献した。それでも、都並は準備を怠(おこた)ることはなかった。

「いつでも試合に出て、プレイするつもりで備えていました。(4戦目の)韓国戦のときも、最後のイラク戦のときも、出番が来れば、その前にもう一度注射を打てば、"いける"と思っていました」

 ドーハの地で壮絶な時間を過ごしていた都並。しかし、彼の限界を超える取り組みや、命がけの行動は実らなかった。日本は最終戦のイラク戦を2-2で引き分けて、W杯出場を逃した。その結果に対して、都並は自分を責めた。