2013.10.25

平均視聴率48.1%!ドーハの悲劇、テレビ東京の舞台裏

  • 布施鋼治●文 text by Fuse Koji photo by AFLO

 絶望から奇跡へ――。各局で放送された中継は尻上がりに視聴率を上げていく。1年前(1992年)、日本代表としては初の国際大会優勝となった中国でのダイナスティカップ。その2ヵ月後、アジアの頂きを制した広島でのアジアカップ。そして1993年のJリーグ開幕と続いたムーブメントは、この最終予選でひとつのゴールを迎えようとしていた。藤井は、今までに感じたことのないような熱を感じた。

「第1戦のサウジ戦から視聴率が高かったかといえば、そうでもない。日本が初めてワールドカップに出場できるかもしれないということで、初めてサッカーが『国民的関心事』になったんですよ」

 フジテレビで中継された韓国戦は、38パーセントという高視聴率を記録した。試合が終わると、同局のプロデューサーから藤井は、「次もしっかりやってくれ」と握手された。まるで、まだ日本だけが知らないスポーツの熱を伝えるという使命を、バトンで渡されたかのように。

「ああいう現場だと、(他局は)ライバルというわけではない。戦友みたいな感じですね。もう、ここまで来たら絶対勝ちをモノにしなければならないよねって雰囲気でした。理屈を抜きにして相通じるものがあった」

 10月28日、ドーハ・アルアハリスタジアム。日本とは6時間の時差があり、キックオフは現地午後4時15分に予定されていた。強い西陽が射していた。歴史に残る実況を担当した久保田だが、この一戦の記憶はほとんど残っていない。「何か緊張していたのかな。ハッキリどうしたということは覚えていない」。

 強いて残っているといえば、勝負の分かれ目となったロスタイムだけだ。

「決まった!」

 イラクのFWオムラムのヘディングによって放たれたボールが日本ゴールを揺らすと、久保田はそう言ったまま押し黙ってしまった。

「ゴールを決められた瞬間、頭が真っ白になった。残り時間も少ないし、このコーナーキックをしのげば終わりだろう。笛が鳴った瞬間、どういうコメントがいいのか考えていた。その矢先に同点にされてしまった。同点になったらダメになる(W杯本大会に出場できなくなる)ことも分かっていたので、その瞬間、それまで考えていたことがポーンと飛んでしまったんですよ。そのせいで言葉が出なかったような気がします」

 その沈黙は、30秒近くもあったと言われている。現場の衛星波を受けていた東京のスタジオでは放送事故だと思った制作スタッフもいたので、舞台裏はてんやわんやだった。