2013.10.24

ドーハを去る夜、うじきつよしがラモスに熱唱した「替え歌」

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • photo by AFLO

「『愛は勝つ』(シンガーソングライター・KANの曲。1990年代初めのヒットソング)を替え歌にして歌った。『ラモスの思いが叶う日は来る』『必ず最後に日本は勝つ』って。半分、いやほとんどかな......、ロビーに響き渡る声で、泣きながら歌っていた。今思うと、バカだなって思うけど(笑)、当時は熱かったんだよね。他のチームの選手が『なんだ、あいつ』みたいな顔をして見ていたんだけど、そんなの関係なかった。ただ、励まして帰るだけじゃ、ちょっとね......。何かを置いていかなきゃいけないっていう、必死の思いだったんですよ。ラモスにしてみれば、鬱陶しかっただろうけど、オフトの日本代表って、一緒に戦いたいというか、周りを熱くさせるというか、そんな気持ちにさせるチームだった」

 ラモスは黙ってうじきの歌を聴いていた。そして、最後まで聴き終えると、平静を装いながらも熱のこもった口調で、うじきにこう告げた。

「ありがとう。オレが(他の選手)みんなにも、歌って聞かせるよ。オレたちは大丈夫だ。オレたちに任せろ。おまえの分まで、オレは戦ってやる」

 うじきは涙で声が出なかった。ラモスの言葉が頼もしかった。自分がもう、心配する必要はないと思った。そのまま、セルジオと一緒にタクシーに乗ってホテルをあとにした。ふと振り向くと、ホテルの外まで見送ってくれたラモスがまだ立っていた。うじきは、その姿が忘れられないという。

「帰るとき、ラモスにマメカラの入った袋と、差し入れの入った袋を渡したんですけど、両足にアイシング用の氷をがっつりつけていたラモスが、両手に大きなビニール袋を下げて、ホテルの前でずっと立っていたんですよ。僕が振り返って挨拶しても、ホテルの中に入らないで、いつまでも見送ってくれていたんです。振り返っても、振り返っても......。あの姿は、今でもはっきりと覚えています」

イラクの同点ゴールの瞬間から
当時の記憶はまったくない

 帰国したうじきは、残り3試合を国立競技場の正面入口の前で見ていた。ポータブルの小さなテレビを配置して、サポーター仲間と観戦していた。

「日本のファンもみんな、家にじっとしていられなかったんでしょうね。それで、仲間内で国立に集まろうってことになって。北朝鮮戦は、20、30人ぐらいで見ていたかな。それが、韓国戦ではさらに増えて、最後のイラク戦のときは、200人以上は集まっていた。今なら、ツイッターやフェイスブックがあるから、すぐに集まると思うんですけど、当時はそんなものなかったですからね。口コミで広がったんでしょうね。とにかく(W杯出場が決まる)その瞬間をみんなで迎えたい、喜びを分かち合いたい、そういう思いがあったのかもしれませんね」

 イラク戦は、異常な状況だった。小さなテレビはふたつに増えていたものの、ふたつとも画面の大きさは10インチにも満たない。200人を超えるファンが集まっては、全員がテレビを見られるわけもない。点が入る度に歓声が沸き、怒号が飛んだ。

「ウォー!」

「どうした、何があった?」「どっちのゴールだ? 日本か? イラクか?」「日本だぁ!」「ウォー!」

「おい、見えねぇ~ぞ!」「やめろ、押すな!」「静かにしろ!」