ドーハを去る夜、うじきつよしがラモスに熱唱した「替え歌」 (2ページ目)

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • photo by AFLO

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 2戦を終えて、日本は6チーム中、最下位。W杯出場のためには、一戦も負けられない状況に陥っていた。にもかかわらず、日本に戻らなければならないうじきは、いてもたってもいられなかった。

「テレビ解説で来ていたオカちゃん(岡田武史/現中国リーグ・杭州緑城監督)なんか、わりと気楽な立場でさ、僕がサポーターに頼まれた御守りをグラウンドに埋めていると、『うじき、(御守りの)効果あるの?』なんて茶化してきたりしていたんだけど、代表の選手、スタッフは、みんなが本当に必死だった。普段は冗談を言って僕らにも絡んでくるオフトが、ずっとムッとした表情をして緊張していた。今では考えられないけど、小倉さん(小倉純二/現協会名誉会長)とか、川淵さん(川淵三郎/現協会最高顧問)なんかもジャージを着て、練習中は汗を流して球拾いを手伝っていた。

 それだけに、イラン戦で負けたあとは、みんな、相当落ち込んでいた。そんなムードの中、自分は(日本に)帰らないといけない。それでもう、自分はじっとしていられなかった。選手たちになんとか『がんばれ』って、『僕らは日本で盛り上げるから』って伝えたくて、一緒に行動していた解説者のセルジオ(越後)さんに、『選手のところに行きませんか?』って言ったんですよ。セルジオさんも、選手たちに何か言いたそうだったし」

 うじきに誘われたセルジオは、最初は躊躇していた。しかし彼自身、落ち着かなかったのだろう、少し考えてから、うじきにこう言った。

「うじき、どうする? (選手の)ホテルに行くか?」

 うじきは間髪入れずに答えた。

「行こうよ。やっぱり"気持ち"を置いていかないと」

 そして、うじきは帰国する前の夜、セルジオと一緒に、選手たちが宿泊しているホテルに向かった。当時は厳しい規制もなく、ホテルのロビーに行けば、取材陣に対して選手のほうから話しかけてくることもあったが、その日はイランに負けたばかりで、さすがに選手たちの姿はなかった。セルジオがフロントから電話して、ラモス瑠偉(ヴェルディ川崎/現ビーチサッカー日本代表監督)を呼び出した。

 しばらくして、エレベータの扉が開き、ラモスが出てきた。すると、険しい表情を浮かべていたセルジオが、いきなりラモスに向かってポルトガル語でまくし立てた。対して、ラモスも凄まじい剣幕で言い返した。「ふたりが、すごい勢いで喋り続けていた」といううじきは、その横で呆然と立ち尽くしているしかなかったが、ふたりの言い合いがひと呼吸したところで、ラモスがうじきの顔を見た。

「元気?」

 ラモスは鬼の形相から一転、笑顔でそう言った。

 うじきは、「うん」と小さな声で答えた。そして、「これ、持ってきたからさ」と言って、手に持っていた袋の中から『マメカラ』(カラオケテープのマイク付き再生機)を取り出した。

「オレ、一曲、歌うよ」

 うじきは、そう言うとホテルのロビーで歌い始めた。

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