2013.10.23

93年のドーハ。DF勝矢寿延を奮い立たせた「ふたり」とは?

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • photo by AFLO

「1-0でリードしていても、『勝てる』という感覚にはなれなかった。気持ちの余裕なんて、まったくなかった。だって、先輩たちの日韓戦も数多く見てきて、韓国にはことごとくやられてきましたからね。僕自身も、何回戦っても勝てなかった。その韓国に1-0で勝っているというプレッシャーは半端じゃなかったですよ。だからこそ、W杯予選という真剣勝負の場で、韓国に勝った瞬間の喜びも半端じゃなかった。過去のことを知っている僕らじゃないと、味わえない感動だったと思います」

 そして、イラクとの最終戦。日本は2-1とリードしながらも、イラクの猛攻に合って、体力はかなり消耗していた。"運命"のショートコーナーの前、イラクのクロスに対してスライディングにいったのは、勝矢だった。しかしその対応は間に合わず、GKの松永成立(マリノス/現横浜F・マリノスGKコーチ)のファインセーブでなんとかCKに逃れた。

「あそこが、限界でしたね。自分があんなに(相手のクロスに対応できないほど)追い込まれたのは、初めてでした。体力には自信があったんですけど......。肉体的にも、精神的にも、あそこまで追い込まれるとは......。スライディングしたままで、テツ(柱谷哲二/ヴェルディ/現水戸ホーリーホック監督)に『カッちゃん、帰って来い!』って言われたのに、しんどくて、すぐに立てなかった。最後の(ショートコーナーからの)イラクのヘディングシュートにも、反応できなかった。僕のポジションはゴールのニアサイドですから、近くにいたのに......。集中力が切れていました。いや、集中しなきゃいけないっていう思いはあったんです。でも、反応できなかった。普段ならあそこにクロスが入ってきたら、体が自然に動いています。それなのに......、動けなかった......」

 イラクにゴールを決められても、勝矢はW杯に行けると信じていた。

「引き分けですから、僕は『(W杯に)行ける』と思っていたんですよ。このチームは、W杯に行けるチームだって思っていたので、それを信じて疑わなかった。でも、ベンチのみんなの表情を見て、『ああ、ダメなんだな』と思いました。信じられなかったです。だって、こんなにがんばったのに......。日本はこんなに強くなったのに......。

 僕と都並は『あと一歩だった』と言われたメキシコW杯予選も、ソウル五輪予選(1987年)も経験しているけど、ピッチで戦っていた僕らは、そのとき『あと一歩』なんて微塵も思っていなかった。世界に出るチームとは力の差があることを、試合をしている中で痛感していましたから。だけど、オフトジャパンは違った。必ずW杯に行けるチームだと思っていた。それぐらいW杯に近づいていたのに、行けなかった。だから、(世界は)そんなに遠いのかって......」

 当時のことを振り返って、勝矢の中では再び悔しい思いが込み上げてきているようだった。そして、続けてこう語った。

「もう1回、都並と一緒にプレイしたかった。W杯に出場していれば、僕はサブに戻っているだろうけど、もしかしたら、1分くらいは一緒にプレイできたかもしれない。それが実現できなくて、(都並には)申し訳なかった」

 今でも、あのドーハでの試合を「見られない」という勝矢。

「もし見るなら、みんなで見たい。酒を酌(く)みかわしながらね」

 その日が来たとき、オフトジャパンの面々は「ドーハの悲劇」という"十字架"から、本当の意味で解放されるかもしれない。(文中敬称略)

■山本昌邦編>ドーハの夜。オフトが綴った「二文字」が 日本の未来を開いた

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