93年のドーハ。DF勝矢寿延を奮い立たせた「ふたり」とは? (2ページ目)

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • photo by AFLO

無料会員限定記事

 勝矢は、疑問を感じながら、ロッカールームに向かった。すると、オフトが言った。

「左サイドバックで行くぞ」

 勝矢は、さらに驚いた。無理もないことだった。初代表以来、左サイドバックなどやったことがない。それも、8年も前のことだ。

「『本当ですか? マジッすか?』って、オフトにすかさず聞き返しましたよ」

 それでも、勝矢は後半の45分をなんとか乗り切った。大きなミスもなかった。が、プレイ中はずっと悩んでいた。左サイドは本来、FWカズ(三浦知良。現横浜FC)、MFラモス瑠偉(現ビーチサッカー日本代表監督)、DF都並と、ヴェルディの選手で固められていて、オフトジャパンの攻撃の生命線だった。そこで、自分がどんな役割を果たせばいいのか、わからなかったからだ。

 その日の夜、勝矢は都並の部屋を訪れた。

「都並が(左サイドの)答えを持っていると思ったんです。例えば、ラモスさんがボールを持ったときにはどう動けばいいのか、どうサポートすればいいのか。そして、ラモスさんやカズとはどんな位置関係をとればいいのか、といったことです。都並を含めて、彼ら3人だけの決め事があるんじゃないかと思ったんです」

 部屋に入った瞬間、勝矢は都並に向かって、自分が抱えている疑問を早口でまくしたてた。すると、都並は冷静にこう答えたという。

「カッちゃん(勝矢)は、カッちゃんのプレイスタイルでやればいいんだよ。オレにないものを持っているんだから、自分の色を出せばいいんだ。オフトも、それを求めていると思うよ」

 都並からは、特別に細かい指示はもらえなかった。されど、都並の言葉が勝矢の気持ちを楽にしてくれた。

「『よし、自分の色を出そう』と思いましたね。結局、それって守備の部分じゃないですか。その仕事で、自分はチームに貢献しようと」

 スペイン合宿における残り2試合のテストマッチは、勝矢が左サイドバックでフル出場を果たした。試合中は、頻繁にベンチにいる都並の顔を見て、彼のアドバイスに従ってプレイしていた。

「普通は、監督を見ますよね(笑)。でも、オフトの顔をまったく見なかったんですよ。都並が何かヒントをくれるんじゃないかって、あいつの表情を見て、自分がやるべきことの答えを探していました。都並から『もっと前に行っていいよ』というゼスチャーがあれば、『そうか』っていう具合に。それで、あいつが『いいぞ、いいぞ』って言ってくれたときには、めちゃくちゃうれしかったですね」

サッカー人生の中で
いちばん大きなショックだった

 スペイン合宿を終えて、勝矢はある程度の手応えをつかんでいた。最終予選直前の、アジア・アフリカ選手権(1993年10月4日vsコートジボワール/1-0)でも、当然、自分が先発で試合に出ると思っていた。

「スペイン、国内の事前合宿の流れから、自分が(左サイドバックで)試合に出場すると確信していました。だから実家にも、『明日、先発だから(テレビで試合を)見ててよ』って連絡したんです」

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録よりメンズマガジン会員にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る