2013.10.19

ドーハの夜。オフトが綴った「二文字」が
日本の未来を開いた

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • FAR EAST PRESS/AFLO

 山本は、当時を懐かしむようにそう語る。

 例えば、試合を見るときのスカウティング項目はこんな具合だ。DFラインがどこに設定されているか。前線のプレスはどこから始まるか。奪ったボールはまずどこへ展開されるのか。セットプレイは誰が蹴って、誰がターゲットになるのか。さらには、残り15分の時点でDFラインはどうなっているのか。どんな選手交代が行なわれているのか。

「今では普通のことなんですけど、そういうことのひとつひとつが勉強になって、自分が監督になったときに、それが生きるわけです。少ない人数で回していましたから、ひとりひとりの仕事の量は本当に多かったですけど、その分、勉強になったと思っています」

 こうして日本代表の一員としてドーハでの戦いに臨んでいた山本。だが、肝心のイラク戦だけは、その場に立ち会うことができなかったという。

 当時はまだ、最終戦をすべて同時刻に開始するという規定がなかった。そのため、当初の予定ではそれまでの試合と同様、同じ日にカリファスタジアム1か所で、サウジアラビアvsイラン、韓国vs北朝鮮、日本vsイラクという3試合を行なうことになっていた。

 ところが、熾烈なW杯の出場権争いは、日本、サウジ、韓国の間で勝ち点はおろか、得失点差の争いにまでもつれこもうとしていた。そのため、急遽、最後の3試合だけはそれぞれ別の会場に分け、同時刻にキックオフされることが決まったのだ。

 慌てたのは、放送関係者である。まさかの3試合同時進行に、解説者の人手が足りなくなった。「そこで、協会関係者に『テレビの中継で解説が足りないらしいから、おまえ、行ってくれないか』と頼まれて、韓国vs北朝鮮の解説をすることになったんです」と山本。すべてのスカウティングを終え、分析資料を提出し、任務を完遂した山本は、日本のW杯初出場を信じて、実況席に座ることになったのである。