北澤豪が初告白「20年前のドーハで
受け取った御守りの行方」
何にしても、『ドーハの悲劇』があったから、選手としてもっとレベルアップしなければいけないと思って、その後も必死になってJリーグでプレイした。それが、間違いなく自分の成長につながったと思う。そして代表も、その後の4年間の飛躍につながった。今は、あそこでW杯に行けなかったことが、日本のサッカー界にとっては良かったと、考えないといけないのかな、と思っている......。悔しいけどね(笑)」
大会後、御守りを日本に持ち帰ってきた北澤は、「(御守りは)地元の帝釈天に持っていって奉納しました」という。
そのとき、北澤が何を祈ったのかはわからない。しかしその祈りが、現在の日本サッカー界の発展に、少なからず力を与えているのではないだろうか。(文中敬称略)
北澤 豪(きたざわ・つよし)
1968年8月10日生まれ。東京都出身。修徳高校卒業後、本田技研(JSL)入り。その後、1991年に読売クラブ(のちのヴェルディ川崎)に移籍。以来、2002年に引退するまでヴェルディひと筋で活躍。日本代表でも"ダイナモ"と称されて豊富な運動量を武器に奮闘した。国際Aマッチ出場58試合(3得点)。日本サッカー協会理事。
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