2013.10.15

あれから20年。いま日本人が「ドーハの悲劇」を振り返る意味

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by AFLO

 すぐさま連想したのは、ドーハの悲劇だった。気がつけば、日本の敗戦(イラク戦は引き分けだが)を重ね合わせていた。日本はその最終予選で、6チーム中3位になった。W杯本大会出場を惜しくも逃した恰好だった。5番手と踏んでいた当時の日本の実力を考えれば、3位は大健闘、大善戦に値する。本大会出場は逃したけれど賞賛に値した。最大級のエンタメ性を含んでいたことを考えれば、絶賛に値するといってもいい。

 それから20年。だが、日本サッカー界は、ドーハの悲劇以上の敗戦に遭遇できずにいる。ドーハの悲劇のような「美しい敗戦」。これがないと、弾みはつかないのだ。

 93年10月以降、日本サッカーは事実、思い切り盛り上がった。以後、ジョホールバルの勝利(97年11月16日、日本はマレーシア・ジョホールバルで行なわれたアジア第3代表決定戦でイランを3-2と下し、W杯初出場を決めた)にいたるまでの4年間は、日本サッカーにとって最良の時だった。

 メディアも元気だった。次こそは。記者、ライターが書く原稿にはその思いが込められていた。現在より数段、情熱的だった。フランスW杯の予選中の記者会見では、当時の加茂周監督に更迭を迫る厳しい質問も飛んだ。

 加茂監督はその結果、更迭の憂き目にあった。そして、バトンを引き継いだ岡田武史監督は、まさにドロドロの戦いを演じながら、W杯初出場を手にした。ジョホールバルの一戦は、言ってみればまさかの勝利。その一連の戦いは、決して美しいモノではなかった。

 クライフが言う「汚い勝利」になる。「勝つときは少々汚くても良いが、敗れるときは美しく」。ドーハの悲劇とジョホールバルの勝利は、クライフの言い回し通りの、まさに「対」の関係にあった。ドーハの悲劇がジョホールバルの勝利を陰で演出していた。