東アジア杯で韓国に大苦戦した理由を誰も追及しないのはなぜか (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Fujita Masato

 この癖を直さない限り、自慢のパスによってゲームを支配できない。日本サッカーは進歩しない。そして代表監督には、その点を正してくれる人を就かせる必要がある。

 そうした視点でいうと、東アジア杯の2戦目(豪州戦)は、評価できた。日本の癖が最も垣間見られなかった試合だった。日本は豪州に支配率で大きく勝っていた。サッカーの中身は3試合の中で一番よかった。冴えたパスワークを見せた。外の使い方という点で、1戦目(中国戦)、3戦目(韓国戦)に勝っていた。ザッケローニから高い評価を得られなかった(とおぼしき)選手で構成されていたにもかかわらず。

 つまり、この皮肉な現実から分かることは、まず問われているのは選手の質ではなく、サッカーの質だということだ。ザッケローニの指導力、代表監督の手腕。それは選手個人の力の及ぶところではない。

  だがコンフェデ杯後、一瞬、盛り上がったザッケローニ是非論は、もはやすっかり聞かれなくなった。サッカーゲームの進め方どころか、今回もすべての試合で露呈した交代下手を指摘する人もいない。流れを改善する交代ができないのと、そのタイミングの遅さは相変わらず、だ。

 優勝、偶然に近い韓国戦の勝利、そして代表の椅子取りゲームを見て、過去を忘れて喜ぶ姿は内向きであり、非世界的である。今まさに、ファンは目先を変えられてしまった状態にある。「3連敗」のショックからわずか1ヵ月で簡単に立ち直る姿は、愚かで危ない。僕はそう思う。

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