東アジア杯で韓国に大苦戦した理由を
誰も追及しないのはなぜか

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Fujita Masato

 この東アジア杯は、記録の類が貧弱で、記録シートにボール支配率の記載がない。よってそれは想像でしか弾き出せないが、贔屓目(ひいきめ)に見ても40対60だった。日本は韓国に一方的な支配を許した。

 もちろん韓国のダメぶりにも目は奪われる。ボールを60% (それ以上だったと思う)も支配していながら敗れる姿は迂闊(うかつ)そのもの。しかも2失点はいずれも、やらずもがなのゴールだった。柿谷のゴールは素晴らしかったが、韓国に警戒心がもう少しあれば生まれていなかったことも事実。日本の勝因は、柿谷の活躍というより、相手のチームとしての未熟さにあった。

 まさにうっかりミス。韓国の敗因は、B代表という即席チームならではの、コンビネーションの悪さにあった。ホン・ミョンボ新監督にとって、これは門出となる大会だ。細部に問題を抱えるのは致し方のない話である。大半の時間を相手に攻め込まれていたザックジャパンより罪深いものではない。言い訳の余地はある。

 我々が自問自答すべきは、日本が目指すサッカーは「あれ」でいいのか、だ。引いて守ってカウンターでいいのか。それでいいのなら、この優勝は大いに喜ぶべきモノになる。 注文通りの勝利だと自画自賛すればいい。日本は弱者で、韓国は強者。日本が韓国に技量で大きく劣っているのなら、それはそれでオッケーだ。よくやったと言いたくなるが、日本はそこまで弱者ではない。少なくともパス回しでは韓国に負けない自負もある。

 日本の自慢はパスではなかったのか。日本はパスサッカーにこだわる国ではないのか。にもかかわらず、韓国にボール支配率で大きく劣ってしまう現実は、プライドを傷つけられるような、沽券(こけん)に関わる問題のはずだ。

 パスサッカーにこだわっているのに支配率が上がらない。この傾向は日韓戦に限った話ではない。日本サッカーの特徴というべき、根の深い問題である。そうなってしまう原因は、パスサッカーにこだわっているようには見えない韓国に、支配率で劣る姿に隠されている。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る