【日本代表】内田篤人、酒井高徳...サイドバックの役割が変わった

  • 写真●藤田真郷 photo by Fujita Masato

杉山 名良橋さんはいつサッカーを始めたんですか。

名良橋 小学校2年です。

杉山 その頃、SBは野球でいう「ライトの8番」みたいな感じじゃありませんでした?

名良橋 はい、完全に。DFはそもそも子どもに人気がないのですが、「SBって何?」という感じでした。CBは大きい子がなることが多くて、そうするとSBは控えめな子がなるようなイメージです。どこのポジションもあてはまらないから、SBでもやっとけ、と。僕は『キャプテン翼』の翼くんに憧れてサッカーをやっていたので、点をとってなんぼ、という感じでした。『キャプテン翼』でいうとSBは石崎くんがやっていて、ヘタだけど熱血、みたないなイメージでした。

杉山 それがなぜSBになったんですか。

名良橋 高校まではFWで、今でいうユース代表に呼ばれたんです。そのときの監督が永井良和さんでした。当時はイタリアW杯のブラジルをはじめ、3バックが全盛だったじゃないですか。サイドの選手はウィングバックという言い方をしていました。合宿中に永井さんに、ウィングバックに使いたいと言われてコンバートされたんです。

杉山 そこに選ばれていなかったらFWを続けていたかもしれない?

名良橋 SBはやっていなかったかもしれませんね。CFをやり続けて結果が出なくて、もしかしたら普通にサラリーマンになっていたかもしれない。だから永井さんには感謝しています。

杉山 最初から?

名良橋 最初は「えー、なんで」というのはありました(笑)。

杉山 あまりやりたくないという気持ちもあったんじゃないですか。

名良橋 ありましたね。ただ、面白いかもしれないと思って1回やってみると、前に大きなスペースがあって、スピードにのって仕掛けられるので、攻撃は楽しかったんです。でも、守備はほんとに嫌でした。当時クラマーさんがコーチで、10日間ぐらいの合宿中、徹底的に守備をやらされました。鍛えられましたよ。「ストップ!」「ポジションが違う!」と怒鳴られて。でもそれでやり方がある程度わかったし、クラマーさんにも感謝しています。

杉山 特に3バックのウィングバックは上下動がしんどかったんじゃないですか。

名良橋 しんどいというか、そのときは守備のやり方で頭が一杯で、運動量のことはあまり気にもなりませんでした。

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