【日本代表】豊田陽平「自分が代表に選ばれたら......」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 数時間後、手術は無事終わっている。

 気付けば、腹部などに8本の点滴用チューブが通されたまま、病室のベッドに横たわっていた。

「あと数センチでも破裂箇所がずれていたら、命が危うかったかもしれないし、寝たきりや人工肛門になっていた可能性もあったよ」

 医者に明かされ、肌が粟立った。病室では手術で開いた箇所の写真を、妻や両親が確認していた。豊田は正視することができなかった。2週間はそのまま、みるみるうちにやせ細っていった。点滴だけで生命を維持する状態、堪らない心細さを覚えた。しばらくすると、点滴をしたままで病室を歩くように医者に指示された。体を動かさなければ、小腸が機能を取り戻さないのだ。

 そしてある夜、沸き上がるようなスタジアムの歓声をベッドの上で聞く。

<夢じゃない。そうか、ここは三ツ沢の近くだから。ナビスコカップかな。みんなサッカーしているんだな。俺はこんなところで管にまみれて>

 そう独りごちて気が滅入ったが、同時にこうも思った。

<自分は強運の持ち主なのかもしれない。回復すれば、サッカーが続けられるんだから。これより痛いことも、怖いこともたぶんないだろう>

 豊田は少しだけ体に力が入るのが分かった。

 驚くべき回復を見せた彼は、そのたった2ヵ月後に試合復帰を果たしている。北京五輪出場はその約1年後のことだ。その後は雌伏の時を過ごしたものの、"生き延びた男"は一歩一歩、前進していた。

「自分は階段を上ってきましたから」と豊田は振り返る。

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