【日本代表】山田大記が明かすブラジルW杯への野望 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 中学時代は2年間“補欠”。3年生の夏まで満足に試合に出られていない。身長が伸びるのが遅く、「体力的に周りについて行けていない」と判断されていた。その結果、ジュビロのユースチームにすら昇格できなかった。高校はサッカーの名門、藤枝東に進んでいるが、ここでもプロからの入団オファーはなかったという。

「『辛かったんじゃないですか? 苦労しましたね~』と慰められることが多いんですが、僕自身はそんな自覚は全くなくて。振り返ってみて、やっぱりサッカーが好きだったんだと思います。プレイすること自体を心から楽しんでいましたから。腐ってサッカーを辞めるなんて考えたこともなかった。子供だから、コーチや監督の文句を多少は言っていたと思いますけど、練習は決して手を抜かなかったですし、ボールを蹴るのが幸せで」

 現在の日本代表選手には、挫折をするたび強くなってきた選手が少なくない。本田圭佑は山田と同じようにガンバ大阪のユースに昇格ができなかったし、長友佑都も愛媛FCのジュニアユースにすら入れず、岡崎慎司は清水エスパルスに入団したときは7番手のFWでサイドバックをやらされ、周りにどやしつけられていたという。彼らは障害を乗り越えるたびに大きくなっていった。

 ただ、「挫折で人は強くなる」とは言われるが、実は大半の選手が実力不足や敗北や不運には打ちひしがれ、臆してしまう。苦境の中でも自分を信じられるか。挫折を糧(かて)にするのは異能なのだ。

 山田は幼稚園の頃から、ミニゲームに負けても泣きじゃくる負けず嫌いだった。小学5年生のときは、ジュビロSS浜松(ジュビロのU-12下部組織)に入っていたが、自分の通っていた小学校のチームと対戦して負け、悔しさに身を焦がした。だが小6の時には浜松JFC(トレセン)に選抜され、全国大会で優勝し、頂点に立つことに痺(しび)れるような喜びを発見したという。

 同じような経験をしてきた子供はいくらでもいる。ただ、山田は過ぎ去った勝ち負けをエネルギーにしながらも、それに囚(とら)われていない。立ち止まらず、前を向いて進むことができた。

「自分はあまり落ち込むことがないというか、とにかく次を考えるし、基本的にポジティブな人間なんですよ」と、山田は説明する。

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