ロンドン五輪決勝で、宮間あやの涙が止まらなかった理由 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko
  • photo by Hayakusa Noriko/JMPA

決勝はアメリカに惜敗。澤と抱き合う宮間の目に涙が浮かぶ決勝はアメリカに惜敗。澤と抱き合う宮間の目に涙が浮かぶ「もっとサッカーを楽しくやりたい。誰かのためじゃないと一歩も動けない」

 なでしこジャパンは、技術や戦術理解などの能力はおそらく世界一のチームだ。だけど、宮間が思うようなサッカーに不可欠な〝熱さ〟が足りない。どうせやるなら、〝熱いチーム〟で戦いたい。苦しい瞬間、その限界を広げる力が〝チーム〟にあることを、北京で感じ取っていた宮間だからこそ、どうしてもあきらめきれなかった。

「北京は北京。今は自分たちでつくっていかないといけないことはわかってる。だけど〝チーム〟にするって本当に大変。自分に何ができるのか。どこをどうすればいいのか」

 常に悩み続けた1年だった。自分のことはそっちのけ。いつもチームのことを第一に考えた。レギュラー陣だけでなく、サブメンバーの心の揺れにも気を配る。神経を研ぎ澄まして、些細な変化も見逃さない。チームのために動くプレイヤーが、宮間だった。

 キャプテンになるまでは陰でチームを盛り立てていた。落ち込みムードになれば自らピエロを買って出て、おどけてみんなを笑わせる。それはキャプテンになっても変わらなかった。

 ロンドン五輪はキャプテンとしても、選手としても苦しい戦いだった。宮間の〝チーム〟づくりは、現地入りしてもまだ続いていた。

 同時に、選手としても試練があった。右サイドMFへの突然のポジションチェンジ。なでしこのサッカーは、なぜか右サイドハーフにいろんなズレのしわ寄せが集まってくる。大野忍も1年前にこのポジションにコンバートされたが、馴染むのに丸1年を費やした。宮間は大野の苦しみを受け止め、常にケアしてきた。そのポジションが今、自分に託された。しかも決戦の火ぶたは、すでに切られている。当然、すぐにはフィットできるはずがない。

「(右サイドになってから)パスミスが多いって言われるけど、自分に入ってくるまでにすでにズレてて、パスを出すタイミングがない。原因はひとつじゃないからややこしい」

 初戦を終えた宮間は、珍しく苛立ちを隠さなかった。ポジションチェンジに動揺したのは、本人だけではなかった。大儀見優季に至っては、宮間からのダイレクトパスを命綱にしていたため、それが配球されなくなったことを誰よりも敏感に察して表情を曇らせた。

 大野はトップに返り咲いて、水を得た魚のように生き生きとプレイしていた。だからこそ、宮間を心配していた。宮間からのパスは大野にとって、最もゴールを予感させるものだ。宮間が活きなければ、自分も活きない。そのポジションの苦しさを経験しているからこそ、どうにかして宮間の動きを活性化させたい想いがあった。それほど難しい右サイド。指揮官は、宮間だからこそ託したのだった。

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