【日本代表】もっとやれたフランス戦。11年前とは時代が違う (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 このことは予想通りだった。僕の中ではそうだった。誤算はむしろ日本側にあった。

 日本はもっとやれる。強者ではないフランス相手に、もっとやれなければならなかった。前半で1点をもぎ取るぐらいの力はあると思っていた。だが、実際は6割方、相手にボールを支配された。

 そのパス回しはきわめて日本的だった。人から人へ。展開力は無に等しかった。相手にとって少しも怖いパス回しではなかった。引っかけられやすい悪いパス交換に陥っていた。サイドチェンジ、ゼロ。選手の視野はきわめて狭かった。日本にもまたデシャンのようなクレバーな選手がいなかった。

 本田の欠場とそれは大きな関係があると僕は思うが、誰かが1人欠けるといつものような力が出ないのでは、チームとして失格だ。後半、相手のメンバー交替につけ込み、終盤のカウンターで勝利を奪っても、僕にはそれほど喜びは湧かない。もっとやれたはずという思いの方が強い。

「親善試合で見るべきは前半」という格言のようなものがある。後半はお互いにメンバーを切り合うからだが、それに照らせばこの試合は「フランスの判定勝ち」という結論になる。

 日本が弱者でフランスが強者なら、前後半の結果を受けて「歴史的勝利」と喜んでも構わないが、11年前とは時代が違う。両者の力は接近している。理想は、例えば日本が前半を1-0で折り返し、後半はメンバーを切り合う中で同点に追いつかれるというような展開だ。

「歴史的勝利」より、その方が数段、強く見える。喜びすぎは弱者の振る舞いそのもの。格好悪いのでやめたほうがいい。僕はそう思うのだ。

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